「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書10章24節)
プニティ・アナスタシス教会 |
安東栄子記念碑 |
今回、わたしたちを引率してくれた太田裕作牧師はその地への宣教師でしたが、先生はこの焼打ちを、今考えてみればわたしたちは間違っていた、平和な土地に対立を持ち込んだのだからこのようにされたのは当然だった、と言われました。一神教を信じるイスラムの人たちに三位一体の神は受け入れられず、主イエスは彼らの神とはなりませんでした。キリスト教の正しさを主張することは彼らの信仰を否定することで、その結果がこの事件だったのです。その反省に立ち、その土地に再び教会が建てられました。まず「福音宣教」というのではなく、彼らとの信頼の回復のためでした。地域の人との人間関係を築くことなくして教会は建たないからです。父なる神が彼らの神となり、御子なる主イエスは彼らの預言者マホメットと同じく「神の言葉」なのです。エジプトの女ハガルの子イシマエルとサラの子イサクは対立する兄弟ではなく同じアブラハムの子なのです。教会が他の宗教との違いを強調すれば争いが起こり、他の神を否定すれば反撃されるのは当然です。相手を受け入れて初めて和解が生まれます。わたしたちは「和解の使者」に変わらなければなりません。新しい教会はこのような新しい理念のもとに建てられたのです。この教会の屋根にはまだ十字架をつけることは出来ませんが、時間はかかっても地域に受け入れられるまで待つことの出来る教会、人々を愛するだけの教会へと変えられたのです。
昨年クリスマスに受洗した姉妹 |
E-mail kazuo.kinouchi@gmail.com
この記事についてもう少し詳しく知りたい方はこちらをクリックして下さい
http://partnersinternationaljapan.blogspot.jp